仙台に行ってきました。

出張で仙台に行ったので少し足をのばして、日本三景の一つ松島に行ってきました。

電車で仙台から松島へ、松島から塩竈まで船で遊覧しましたが、船の売店のおばさんが話してくれた話がすごく印象的でした。

最初は、すぐそばにいた人に話してただけだったけど、その声は静かな船内に響き、途中からは、前に出てみんなに語りかけるように話してくれました。

話してくれたのは、あの大地震津波の日、松島辺りの900人ほどが住む島で一人も犠牲が出なかった話。
その島は遊覧船から見てもほとんど高台はなく、唯一のすこし小高い丘に小学校が見えていました。
人が住んでいる集落は、小学校から少しだけ低くなっていて、それほどの差はないように見えましたが、家はすべて津波に流されてしまったけど、小学校のところまではぎりぎり津波は来ず避難した人たちは全員助かったという話でした。

その島では、地震直後の早い段階から、島内放送により津波が来るのでみんな避難するようにという呼びかけをされていたとのこと。
ただ地震発生から津波がくるまでに30分ほどの時間があったので、着の身着のまま避難した人たちは、荷物を取りにそれぞれの家に一度帰って行ってしまい、そのままだったら多分みんな亡くなってしまっていただろうことでした。

おばさんは、遊覧船に乗った30人ほどの人たちに大声で聞きました。
みんな、なんで全員助かったかわかる?考えてみて。

いろんな想像を巡らせてみたけど、前日の大きい地震でも少しパニックになってしまった私にはまったくわかりませんでした。

おばさんは、少し訛のある発音で続けました。
島の人たちは、家に帰ってみても地震で荷物がぐちゃぐちゃで何か持って来れるような状態ではなく、みな放心状態になっていたけど、島内放送の強い呼びかけで我に返って、皆何も持たないまま避難所である小学校に集まって助かったんだよ。
島の人は、逃げろって言われたら素直な心で受け止めて避難したの。
たくさんの人がいたら、言われたままにしないひともいるでしょう。でもね、島の人は勧告に従って素直にちゃんと訓練してた小学校にあつまったのだから助かったんだよ。
皆さんがどこに住んでいても災害は急にやってくるの。何が起こるかなんか誰にもわからないでしょ。そのときに、素直な心でちゃんと避難してね。それが助かる方法だと思うの。これが私から言えることです。

私の高台にある家は、津波には遭わなかったけど地盤が落ちてしまって、もう住めなくなってしまった。
でもね、がんばってこうやって仕事してるから、みんなここで観光して楽しんで物を買ってね。よろしくお願いします。

聞いた言葉は大変重く、みんなが少ししんみりしたけど、おばさんの元気な笑顔に救われました。
それから、少しして船の中では拍手が起きました。

10mの津波なんて想像もつかないけど、このおばさんの話を聞けただけでも、ここに来てよかった。
なんだか話を噛み締めると泣いてしまいそうだったけど、強く生きているこの人たちを前に今泣くのは違うなと感じ、これから復興までに長くかかると思うけど、応援する気持ちは持ち続けていよう。そう思えた旅でした。